愛知文教大学連携市民講座 「江戸時代の観光ガイド『尾張名所図会』で小牧を旅する」第3回
2021/12/02
第3回のテーマは「小牧宿の見どころ~小牧中央部編~」です。
小牧市中央部の紹介として『尾張名所図会』の挿絵に出てくるのは「小牧山尾張神社」。現在の名古屋空港あたりから小牧山方面を眺める形で描かれています。小牧山の頂上付近には「古城石垣」の文字も記されています。最近の発掘調査ではっきりした小牧山の石垣。『尾張名所図会』の記載の信ぴょう性が裏付けられたともいえそうです。逆に、江戸時代に石垣の存在が知られていたことにも驚きの声が出ていました。
信長が城下町として整備したのが現在の市役所付近。江戸時代になって小牧宿として整備されたのがそれよりも東隣のあたりに。移動した理由として、木曽街道が段丘の上の段に整備されたため、小牧山の東側を通すことになったと分析され、なるほどと納得しました。
小牧宿の南の木戸に高札場があり、お触れなどが掲示されていました。現在、その跡地は健在で、市の掲示板が置かれている写真を見て、驚きの声が上がっていました。
小牧小学校南側の戒蔵院前には、「南 名古屋」 「西 一の宮 つしま 清須」 「東 木曽海道 犬山道」と刻まれた道標が建っています。『尾張名所図会』には、小牧山・小牧山城址・神明社・玉林寺・西源寺について説明されています。よくよく考えると記述された場所を見通せるのは、戒蔵院の道標の前ということになります。つまり、木曽街道を歩いてきて、小牧宿の中にあってT字路となった戒蔵院の前に立ち、小牧山の方を見て案内していることがわかります。つまり小牧の中心は戒蔵院前のT字路であるとの話にニッコリする皆さんの顔が印象的でした。